本稿は「Qt for MedTech Pre- and Post-Market Surveillance」の抄訳です。
現在市場に投入されている医療技術は、わずか3〜5年前と比べてもはるかに複雑になっています。治療法の開発方法やケアの提供方法においても、大きな変化が見られます。「プレシジョン・ヘルス(Precision health)」「センサーや接続されたエコシステムを通じたリアルタイムの洞察」「組み込み型AI」「継続的なデータフロー」「高性能コンピューティング」「データ共有」などのテーマは、現代のインテリジェント・ヘルス(Intelligent Health)を支える柱となっています。このように医療機器開発における技術的複雑性が高まる中、効果的に機能するデバイスを出荷すること自体が非常に大きな努力を要します。しかし、使いやすさ(Usability)が設計段階から組み込まれていなければ、どんなに優れた技術で作られたデバイスであっても、その目的を果たせない可能性があります。
意図したとおりに使われないのであれば、
たとえ完璧に動作する医療機器や診断機器でも、
その価値はどれほどあるでしょうか?
慢性疾患の増加、医療分野へのデジタル技術の導入、価値に基づく医療(Value-Based Care)への注目、そして技術革新の進展——これらの要因が相まって、医療提供者による遠隔患者モニタリング(Remote Patient Monitoring: RPM)の導入を加速させています。
出典: Gartner「Market Guide for Remote Patient Monitoring Solutions」(Robert Potts, 2025年2月10日)
© Gartner, Inc. およびその関連会社。無断転載を禁ず。
この新しい環境では、医療技術の利用者はこれまでになく多様になり、その多くは専門家ではありません。
そのため、ユーザーエクスペリエンスはシンプルで、直感的で、かつ反応の良いものである必要があります。
Read more about the importance of UI/UX in MedTech
厳しく規制されたヘルスケア分野では、デジタルヘルス製品、バイオセンサー、ウェアラブル機器の開発者は、
世界各国で異なる認証や承認要件を満たすという課題に直面しています。米国FDAがユーザビリティに関して発行している主要なガイダンスは、2016年の「Applying Human Factors and Usability Engineering (HFE) to Medical Devices」(医療機器へのヒューマンファクターおよびユーザビリティエンジニアリングの適用)であり、この文書では、HFEを機器設計および検証プロセスに統合する手順が示されています。規制対象の医療機器やアプリケーションが市場で販売許可を得る前に、開発者は以下の市場投入前(Pre-Market)要件を満たす必要があります。
想定ユーザー、使用環境、および使用シナリオの特定
リスク分析の実施
設計および反復テストの実施
総合的ユーザビリティテスト(バリデーション)の実施
ヒューマンファクターエンジニアリング(HFE)報告書の提出
要とされ、デバイスがライフサイクル全体を通じて安全で効果的、かつ規制要件に準拠した状態を維持するための継続的改善を推進する必要があります。
規制対象の医療製品が市場に出ると、米国およびEUではPMS(Post-Market Surveillance: 市販後監視)が義務付けられます。
PMSとは、医療機器が市場に投入または使用開始された後に、その安全性、性能、有効性に関するデータを体系的に監視・収集するプロセスを指します。
PMSは、医療機器が市場に存在する限り、米国とEUの両方で実施が求められます。また、このプロセスは、医療機器がライフサイクル全体を通じて安全で有効であり、規制要件に適合し続けることを確保するための継続的な改善を促すものです。
欧州連合(EU)における医療機器の市販前および市販後のユーザビリティ要件は、Medical Device Regulation(MDR, EU 2017/745)によって規定されており、ユーザビリティエンジニアリングおよびヒューマンファクターエンジニアリング(HFE)が重視されています。ユーザビリティエンジニアリングとHFEは、一般的安全性・性能要件(GSPR)の項目5および22で明確に示されています。
また、Medical Device Coordination Group(MDCG)は臨床評価に関する追加ガイダンスを提供しており、その中にはユーザビリティデータが含まれる場合があります。EUは、米国と同様に IEC 62366-1:2015 および ISO 14971:2019 といった国際規格を採用しています。
規制対象の医療機器が市場に出た後は、米国・EUの双方で市販後監視(Post-Market Surveillance: PMS)が求められます。PMSとは、医療機器が市場投入または使用開始された後、その安全性、性能、有効性に関するデータを体系的に監視・収集するプロセスです。医療機器が市場に存在する限り、米国およびEUの両方でPMSの実施が義務付けられています。
米国FDAは、連邦規則(CFR)21 CFR Part 822(市販後監視)および21 CFR Part 820(品質システム規則)に基づき、特定の条件を満たすクラスIIおよびクラスIII医療機器に対して市販後監視を義務づけています。
一方EUでは、MDR 2017/745 に基づき、EU市場に流通するすべての医療機器に対して、市場リスククラスに応じた要求事項のもとPMSが求められています。
さらに、市販前・市販後の要求に加えて、継続的改善は米国(FDA)およびEUの医療機器規制における重要な要素であり、これにより医療機器がライフサイクル全体を通して安全性・有効性・規制遵守を維持できるようにしています。
米国FDAにおいて、継続的改善は主に21 CFR Part 820(品質システム規則, QSR)により規定されています。
EUでは、MDR 2017/745 の中で、品質マネジメントシステム(QMS)(Article 10、Annex IX)、市販後監視(PMS)(Articles 83–86)、市販後臨床フォローアップ(PMCF)(Annex XIV, Part B)、警戒システム(Vigilance)(Articles 87–92)、技術文書の更新(Annex II・III)などを通じて継続的改善が組み込まれています。
このように市場投入前および投入後の使用状況監視に関して厳格な国際的要件が課されている中で、
問題となるのは次の点です。「ユーザビリティデータを収集する際には、どのような方法とベストプラクティスに従うべきか?」
FDAのHFEガイダンス、EU MDR、IEC 62366、ISO 14971においては、推奨される標準的なデータ収集手法として、コグニティブ・ウォークスルー(認知的検証)、観察、ディスカッション(討議)、およびインタビューが挙げられています。しかし、これらの従来型のデータ収集手法は、デバイス自体からリアルタイムで使用状況メトリクスを取得する場合ほど信頼性や正確性が高くありません。たとえ市場投入前の試験のような非常に制御された環境であっても、ユーザーは注意散漫になったり、自分の行動に気づいていなかったり、誤解をしたり、無意識の動作(いわゆる「身体が覚えている動き」)で操作したり、集中力を失ったりすることがあります。実際の現場では、こうした課題や困難はさらに指数関数的に増大します。たとえば、忙しい12時間の病院勤務の合間に、医療機器の使用状況について職員にインタビューするような場合がそれに当たります。
従来の手法にリアルタイムの使用データを補完することで、より正確な使用状況の情報を得ることができます。
しかし、このようなリアルタイムの機器使用データを取得することは、市場投入前のユーザビリティ調査と市場投入後の監視の両方において、これまで最大の課題となってきました。
Veeva Medtechの記事, TOSOH: Defining a Postmarket Surveillance Strategy to Drive Risk-Based Decisions によると:
正確で高品質なデータの収集は、依然としてPMS(市販後監視)における大きな課題です。従来の手法では十分でない場合があり、データの不一致が苦情調査の遅延や、効果的な警戒評価の妨げとなることがあります。製造業者は、より関連性が高く、完全な情報を収集することに注力し、結果の改善と、より的確なリスク評価の実現を目指すべきです。
正確なリアルタイム使用データを提供することが、まさに Qt Insight Tracker の役割であり、次のセクションでは、どのようなタイプのデータと医療機器へのPMS統合方法について見ていきます。
Qt Insight Trackerはイベントベースのモデルを採用しています。クリック、画面遷移、ワークフローの移行、さらにはカスタムアプリケーションデータまでも、すべてイベントとして取得することが可能です。
しかし、データの取得はあくまで第一歩にすぎません。真の価値は、これらのイベントをデータパイプラインに流し込み、エンジニア、プロダクトマネージャー、コンプライアンスチームが可視化できるようにすることで生まれます。
デバイスのトラッキングを使用分析に直接組み込むことで、次のような利点が得られます。
このアプローチにより、医療機器のトラッキングは手作業によるプロセスから、継続的でデータ駆動型のコンプライアンス資産へと変わります。これによって、製造業者はメンテナンス上の課題や規制要件に対して、常に先手を打つことが可能になります。
これを実現するシンプルな方法のひとつは、Snowplow データパイプラインをクラウド(AWS、GCP、または Azure)上にデプロイすることです。Terraform を使えば、数時間でセットアップすることが可能です。
概要として、AWS 上でクイックスタートモジュールを用いると、以下のような構成がデプロイされます。
画像1. SnowplowとAmazon Servicesを使用したサンプル分析パイプライン
このパイプラインを立ち上げるには、以下の準備が必要です:
Terraform と AWS CLI のインストール
VPC/サブネットにアクセスできる AWS アカウント
独自ドメイン+SSL証明書(Insight Tracker は HTTPS が必須)
セットアップの流れ:
Terraform を使って Snowplow クイックスタートをデプロイする。
HTTPS でコレクターのエンドポイントを設定する。
igluctl を使って Qt Insight Tracker のスキーマを Iglu サーバーへアップロード。
Qt Insight Tracker 対応アプリをコレクターのエンドポイントへ向ける。
QuickSight でデータを可視化し、ワークフロー、エラーパターン、ユーザー行動を分析する。
このパイプラインが構築されると、データの循環が完成します。
エンジニアは、ユーザーが実際のワークフローでどこに苦労しているかを把握できます。
プロダクトマネージャーは、改善の優先順位をデータに基づいて決定できます。
コンプライアンスチームは、FDA/EU の市販後監視に対するより強力なエビデンスを得られます。
そして最終的に、エンドユーザーはより安全で、使いやすく、効果的なデバイスを手にすることができます。
Qt Insight Tracker とクラウドデータパイプラインを組み合わせることで、実際の使用性はもはや推測ではなく、「測定でき、可視化され、行動に移せる」ものになります。
ワークフローを可視化する
デバイスの使用状況を分析する強力な方法のひとつが、状態遷移をサンキー図で可視化することです。
下の例では、輸液ポンプがどのように状態を遷移していくかを確認できます。
standby → configure → running → completed → standby
各フローの太さは、ユーザーがその経路をどの程度頻繁にたどるかを表しており、最も一般的なワークフローや、まれで予期しないパターンを一目で把握できます。
このような図からは、次のような点を明らかにできます:
ユーザーが想定されたワークフローに従っているか、それとも手順を飛ばしているか
ボトルネックの有無(例:「configure」状態でデバイスが止まっているなど)
早期終了のパターン(例:「completed」前に powerOff されるなど)
こうして、生のイベントデータを行動可能なインサイトに変換でき、エンジニアやプロダクトマネージャーは改善すべきポイントを即座に把握できます。
インサイトのすべてがクリックやワークフローに関するものとは限りません。Qt Insight Tracker を使用すれば、デバイスの使用状況やメンテナンスに直接関連する カスタムアプリケーションデータ も取得できます。
たとえば輸液ポンプの場合、消耗品(チューブや液体など)を交換する前に ポンプが何回稼働したか を把握したいとします。
各稼働時にシンプルな JSON ペイロード を送信することで、データパイプラインがそのフィールドを解析し、QuickSight 上で可視化できます。
この表はセッションごとの稼働回数を示しており、特定のデバイスが何回操作されたかを明らかにします。このデータを基に、次のようなことが可能になります:
デバイスが メンテナンス閾値に近づいている ことを検知する
消耗品が故障する前に サービスチームへ事前にアラートを出す
デバイスごとの 使用パターンを追跡 し、交換サイクルを最適化する
メーカーまたは規制ガイドライン に従って消耗品が適切に保守されていることを示す コンプライアンス証拠 を提供する
医療機器の継続的な改善や、規制遵守をより容易に達成するために リアルタイムの使用状況分析 が必要な場合は、ぜひ私たちまでお問い合わせください。
従来のデータ収集方法は、デバイスから直接リアルタイムの使用メトリクスを取得するほど信頼性が高く正確ではありません。